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netshopオープンへの道

netshopオープンへの道 VOL7−フランスで仕事をする−

私のフランス人への仕事に対するイメージは2種類ある。
それも、前半3年間と後半3年間ではイメージが180度違う。

前半3年間は多くのフランス在住の日本人が持ってるイメージ。
後半3年間はとってもいいイメージを持っていて、
みんなに事実を伝えたい気持ちです。


本当に前半3年はイライラした。
私たち日本人は世界でもっともスピーディで
持つことが苦手な人種だと思う。
そして私たちは世界一の正直者だと思う。
そんな私たちがゆっくりなラテンの国で仕事をする。
で、もって、私が初めて内勤で仕事をした会社は
動物園(アパレルです)だった。
比較するものがない私は、日本と比較をし、
この国で暮すのは楽しいけど、仕事はまっぴらだ。と、
将来への希望が持てなくなりつつありました。

それが、自分のブランドを始めるきっかけとなったのは確かです。
幸せ1番思考のわたしは運命のいたずらに負けるのが嫌なのです。
ならば、幸せになれる方法を探す。

では、なんで日本に帰らなかったのと言うと
帰りたくない理由が他にあったから。
まあ、そのへんはみな様の想像にまかせます。


前にヴィザをとる時に仕事をした会社で
1型分の代金を頂いてないので夏休みあけに電話をしたのが
ことの始まりでした。

1日4時間、内勤で働いてくれないかという向うの提案に戸惑いました。
その会社の商品はあまり好きでなかったのと
その有名なサンティエ界隈で働くのに抵抗があったからです。


ただ、仕事を見つけるのは、許可証があっても大変でした。
いや、多分、フランスで働くという別の価値観を受け入れるのが
大変だったのだと思います。
後はコンプレックスが邪魔しました。
このコンプレックスについては次回に書きますね。


だから、決めました。
生活していかなくてはいけないし、
このコンプレックスになっている言葉を覚えるのにいいチャンスと捉えて。。。。。

幸い、向うはわたしがフランス語を話せないのを受け入れてくれてました。
今、思えばとってもラッキーなことです。

そして私のフランス人との仕事が始まったのでした。

 

 

つづく・・

 

 

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  • 2006.09.25 Monday
  • 19:55

netshopオープンへの道

netshopオープンへの道 VOL6−仕事用ヴィザ申請奮闘記−

フリーランスの人が税金とは別に払わなくてはいけないものがある。
その内の1つがURSSAFである。

そこでフリーランスの活動をする登録をしなくてはいけない。

が、が、が、

許可証を持ってない者は登録することができないと言われた。
あたりまえのこと。

次の日、またおじさんに会いに行った。
が、登録が先だと言う。
ここでも、”鶏の卵”だ。
そんなことで3往復をして疲れだしたので、例の日本人君に連絡してみた。

仮許可をもらってからURSSAFに登録する。らしい。

が、おじさんは仮許可をくれない。
URSSAFに行った。運良くいいお姉さんに当たった。
彼女は前にもそういうことがあったと、
こんなたらい回しにされてと同情してくれ、
おじさんから彼女のほうに電話するよう連絡先をくれた。


その足でおじさんの所に行ったがおじさんは聞き分けがない。
終にわたしはぶちぎれた。

「日本に帰れっていうの?それとも、この為にパリに引越せっていいうの?だいたいどーして自分の仕事がわかってないのー」



あまりにも、大きな声でさけんだから、周りに人がみんな集まってきた。
おじさんがたじろき、「ちょっと待ってて」と姿を消した。
みんなが私を悪者の目で見ている。
だが、きぜんとして待っていた。


2時間が経過した。一人で待っていた。
おじさんはどこに消えたのだろう。
やっぱ。パリに引っ越そうか。
引越しはお金がかかるし、条件のいい物件は見つからないだろう。
その頃(現在でも)のパリの住居は家賃が高騰中だった。

おじさんがニコニコ戻ってきた。仕返しだろうか?
「いやーいろいろ電話かけてみてね。君の言うとおりだったよ。仮許可を作るから写真今日持ってる?」

やったあああああ ラブ 取れた。
まだ仮だけど、仮がでたら もう取れたようなものだ。


帰る道々、考えた。大変だったけど、
反対に向うがやり方を知らなかったおかげで一社だけの証明書で取れた。
これがパリだったら、無理だったに違いない。
なぜなら、申し出る人が多い為、
書類が揃わないものは第一選考で落ちるようなものだ。

またしても、悪運が強い。

 

 

つづく・・

 

 

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  • 2006.09.24 Sunday
  • 23:08

netshopオープンへの道

netshop.オープンへの道 VOL5 −仕事用ヴィザ申請奮闘記−

新しい会社に行く道のり、私はどきどきしていた。
社長に仕事依頼の証明書を書いてもらう為に歩いていた。
ヴィザ更新のために書いてほしいと言うつもりだった。
ただ、私は嘘がきらい。

私が私の人生においてもっとも嫌いなこと。。。。。

後悔。
やる前にあきらめること。
うそ。

うそが嫌いというととっても真面目くさい印象があるかもしれない。
うそをついたことがばれたり、それについて心配するのが面倒だし、
潔く生きたい私には、嘘という行為はとっても、せせこましく感じる。
でも、フランス人は外国人のヴィザがどーなってるかなんて知らないし、
面倒くさがって知ろうともしない。

しょーがないのだと自分に言い聞かせた。


がーん

まだ、1ヶ月しか仕事をしてないから、そういう証明書は書けないと言われた。

私の申請の為のアポイントは2日後なのに。。。。。
やっぱり、うそついた罰だ。

とっても、憂鬱になった。また日本に戻ってお金ためて戻ってくる根性はない。

だが、次の朝、目が覚めるとなんか、もしかしたら1社でもうまくいくかもしれないと思った。
そう、私の長所は立ち直りがはやいこと。
どっちみち、アポは明日だ。行くだけ行ってみよう。

11時のアポなのに2時間待って、やっと窓口にいけたにもかかわらず、
窓口の人は学生からフリーランスに書き換えるやり方を知らなかった。
いろんな人が集まってごちゃごちゃもめ、
最終的に他の商談室みたいなところに呼ばれた。
おどおどした感じのおじさんでとても上司に見えない。

おじさんは先にフリーランスの登録する事務所にいって登録書類を持ってきてほしいと言う。

このとき私は自分がこの謎解きをしなくてはいけなくなることをまだ知らなかった。

 

 

つづく・・

 

 

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  • 2006.09.23 Saturday
  • 20:00

netshopオープンへの道

netshop.オープンへの道 VOL4 −仕事用ヴィザ申請奮闘記−

ある夕方、電話がなった。
前回の留学の時に知り合った台湾人の友達からだった。
彼女の元彼は日本人で、日本に押しかけ留学していたので日本語を話す。
どうやら、私の母にここの電話番号をきいたらしい。

とっても嬉しいサプライズだ。
早速、話題はヴィザの件に。。。。。
彼女、いわく、共通の同級生フレンドの旦那さんが会計士で
そういうことに詳しいから連絡してみろと連絡先をくれた。

あの頃(ファッション専門学生だった頃)、よく彼女はクラスの
みんなを家に招待してくれた。
彼女の作る料理はとっても美味しかった。
そんなことを思い出しながら、電話をした。
もう、4年もあってない。思い出してもらうのに時間がかかった。
彼女は学校を卒業してから、1年ほど働いたものの、
給料のわりにハードワークな仕事を旦那がみかねて、「そんなわずかな
お金のために働くなら、家にいたほうがいい」とやめさせられたらしい。

そうなのだ、下っ端の時は大変だ。
だから、よっぽどこの仕事が好きで情熱がないとやっていけない。

でも、さすが会計士の旦那だ。とっても数学的な判断だ。
お金じゃない幸せと言うものがあるはずなのに。。。。。

結局、彼女はフリーランスでやってる日本人の男の子を紹介してくれた。
本当にほしい時って情報が向うからやってくるものだ。

その日本人の男の子がいうには、なにやら、2つの会社からの
私への仕事依頼の証明書がいるらしい。
おまけに、彼のものをファックスで送ってくれた。
やっぱり、日本人って優しい、気がきく!
そんでもって、検査がないから、2つめは知り合いの会社やってる
人に頼んで作ってもらえばいいとまで教えてくれた。

でも、そのコネがわたしにはないのだ。
どっちにしろ、もうひとつ探したいと思っていたところだ。なぜなら、
飛ぶ鳥を落とす勢いの会社はとっても単価が、安かった。

でも、今現在、許可証をもっていない。
頭をひねった。ひねりまくった。そうだ。
持ってる振りをして働いて申請が通ってから請求書をきろう。
今、思えば怖いことをした。見つかっていれば日本強制帰国もありえるのに。。。。。

そして、選んでられない。なにがなんでももうひとつの仕事を見つけるのだ。
母校、エスモードの求人紹介室に行ってみた。
年会費4000円でつき一回、求人案内を送ってくれるらしい。
だが、その頃のわたしはじわじわ残り少ないお金での生活だった。
「毎週来てくれれば、コピーをあげる」と言われた。
お金のなさと必死さが伝わったのだろう。

そして、運良く仕事も見つかった。
真剣に願って動きまくると必ず代用品が送られてくる。
神様って絶対いると思う。
ここで、代用品と書いたのは1番ほしいものでないから。。。。。
でも、神様はよくわかってる。
簡単にくれないのは自分で勝ち取った満足感のほうがもっと喜びを感じることを知ってるからだろう。

 

 

つづく・・

 

 

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  • 2006.09.22 Friday
  • 23:58

ファッション

パリの生地の展示会 ープルミエール.ヴィジョンー

今日はヴィザの話を休ましてもらいます。
続きを気にしてる人がいるのも、とっても承知なのだけど。

記憶が鮮やかなうちに書いときたい。
パリの生地の展示会に今日行ってきました。
わたしがデザイナーになった頃、先輩たちが毎回、各セクションから順番に行かさせて
もらってるのをみて、
早く私も行けるようになりたいと仕事を頑張ったものでした。

その頃は、デザインが毎回、(本当に毎回)チーフになおされていて
自分はお洒落好きだけど、何もないところから生み出すことには
向いてないのじゃないかと悩んだり、泣いたりしてました。
ましてや、自分がフランスに住むことになって、しかも、パリで仕事をするなんて
これっぽっちも考えてなかった。
もう、仕事を覚えるのと、はやく使える者になりたいと必死でした。
結局、いけそうなときを前にしてヴィヴィアンの仕事が決まってしまい、
このチャンスものがしたくない。とプルミエール.ヴィジョンは夢となってしまいました。

最近、日本からの出展者もすごく増えてますね。
知ってる人にあわないかしら、なんてブース(スタンド)覗いてみたり。
でも、月日が経ちすぎてお互いわからないんだろーなとは思います。

今回は2007年、2008年秋冬の生地の展示会だったのですが。
ノーブルですね。
今までのナチュラルかんとかなくなってしまって、高貴な色、プリント柄、チェックまでシックでした。
いや、シックと言うより高貴。
やはり、世界的に景気が回復してるのが理由でしょうか。
贅沢な雰囲気のものをまといたい?

景気の悪い時って、モードがやさしい系やナチュラル系になりますよね。
疲れてて、ホッとした感じのものを周りに置きたくなるのでしょう。

色的にはブッラクを中心に濃紺とか、クロっぽい種類(でも、グレーではない)のものが
大半をしめていて、それに、ウグイスや風呂敷の紫がかった淡ピンク。
うーん着物に使われる色が多かった。中世の頃のドレスのような生地とかモチーフとか。。。。。
やっぱり、お高い位のものばっかですね。

後、面白かったのは人。
前回はみんなハーフパンツはいてました。
今回は、もう、みんなレギンスはいてました。
年々、ファッション業界の人は個性がなくなり、
流行、一点張りの傾向がつよくなってるような。。。。。


でも、生地を見るより、人を見てるほうが楽しいですね。
お洒落な人は本当にお洒落です。ただ、カメラが会場で使えないので
ざんねん。

アー、今日は楽しい話題だったから簡単にかけちゃいました。
でも、どきどきして待ってるみなさんのためにヴィザ早く取れるところまで
がんばりますね。では、また



  • 2006.09.22 Friday
  • 02:12

netshopオープンへの道

netshopオープンへの道 VOL3−仕事用ヴィザ申請奮闘記ー

おばさんはやっぱり迫力の怖さだった。
でも、今ならきっとうまくやれると思う。
フランス語も話せるし、どう接すればいいかも心得ている。
ひどい態度には反対に丁寧に接するのだ。
そーすると、とたんにばつの悪そうにやさしくなる。
(ただし、下手にでず、堂々と振舞わなくてはいけない。)

反対に今ならわかる。彼らは毎日、いろんな国からきた
言葉も満足に話せない人を相手にしてる。
おまけにこんな言い方は悪いかもしれないが、
私たちのように先進国の教育を受けてない国のひとたちもいる。

イライラするのだろう。そのストレスがいじめに変わるのかもしれない。
とにかく無事もらえた。

外にでて、メトロに着いたとき、ヴィヴィアンのマフラを
落としたのに気がついた。

昔、ア.ストア.ロボットに入った頃、LOCHCARRONとVIVIENNEのコラボで
作られたマフラでもう存在しない。
母にプレゼントであげたものを、母が日本をたつときにくれたのだ。
「フランスは寒いから持ってきなさい。」と
まだ、2週間しか使ってないのに。。。。。
探しにもどったがみつからなかった。

悪いことの後にはいいことがある。
仕事が簡単に見つかるかもしれない!
いや、とことん苦戦した。
私の計画はこうだった。

ソルボンヌの授業を朝1番の8時半にとった。
もちろん午後からスタージュ(学生の研修)をする為に。。。。。
スタージュで認めてもらって必要な人となってポストをもらおうとしていた。
ところがスタージュが決まらない。
経験者のわたしはスタージュにとってもらえない。
とってもらえるところはそれどころかほしがられるのはお金をだして人を雇えないような
弱小企業ばかりだ。
私の人生かかってる。慈善事業してる場合ではない。
半年が経過してしまった。あせる。夏休みに突入したからどーしようもない。
イギリスに英語を習いに行くことにした。(この話もまた今度)


10月、作戦を変更。
このままでは、ヴィザを切り替える前に日本に帰ることになってしまう。
今まで嫌がっていた日本企業を許容範囲内にした。
10月末、オブニ(ぱりの日本語フリーペーパー)でパタンナーの募集を発見。
デザイナー希望だが、期限切れがせまってる。選んでられない。
電話した。試験を受けた。デザインはかわいかった。
おまけにフリーランスのヴィザの書類に協力してくれると言う。
日本でそのとき飛ぶ鳥を落とす勢いだった某ブランド。

万が一日本に帰ることになっても、履歴書にいいかもしれない。
 

 

つづく・・

 

 

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  • 2006.09.19 Tuesday
  • 20:08

netshopオープンへの道

net shop.オープンまでの道 VOL.2ー仕事用ヴィザ申請奮闘記ー

嫌な過去を思い出す作業なのでついつい、更新がおそくなってしまいました。

成功する留学やその他のもろもろのいろんなガイドに悪名高く
登場するこの滞在許可書申請は、うわさどうりの
留学生の1番最初の難関なのです。
(アパート探しに苦労する人もいるけど。。。。。
私も2ヶ月家なし子だった。この話はまた、後日)

 
私が取りに行った1999年はまったくひどい状態で、
(最近はだいぶと対策がとられてましになったとのこと)
1月の冬の寒い中、建物の中に入れるまで何時間も列を作って待たなくてはいけなかった。
なのに、書類が1つ足りないだけで、ようやくたどり着いた窓口で追い返されてしまう。
私の前の子がそうだった。ああー可哀想に。彼女はまた明日ならぶのだろう。
私は、2回目のフランス留学なのでばっちりである。
ただ、悟られないようにしなければ。。。。。
のちのちフランスで働きたいことを。

フランスで働くには以下の5つの方法が主である。

●フランス人と結婚してヴィザを貰う。(これが1番簡単、最近はパックスと言うもっと簡単なのもある。)
●正社員用ヴィザをもらう
●フリーランス用ヴィザをもらう
●ワーキングホリディで来る(ただ更新がきかない)
●学生ヴィザで週20時間まで働ける。(ただ、行く学校の名前しだいで許可がでないときもある)

*追記:2007年7月より、学生ヴィザで、申請なしで週20時間まで、アルバイトができるようになりました。

このうち正社員とフリーランスは日本申請と現地で学生ヴィザから切り替える方法がある。
日本からは必要書類が多すぎる。取得もむずかしい。(却下)
フランスでの学生からの切り替えにしても、”鶏の卵”の仕組みになっている。
なぜなら、仕事を見つけれないと申請できない。でも、許可証を持ってないと会社は雇いたがらない。
ましてや、フランス人はめんどくさがりやだ。
そんな面倒な思いをするのなら、もう、すでに許可証を持ってる人にしたほうがいいに決まってる。
おまけに申請してから取得まで最低3ヶ月、もしくは半年かかる。
その間、よっぽどほしい人でないと待ってられない。
幸いわたしはデザイナーだ。フリーで仕事できる。
そう、計画はばっちりたてた。1年間の留学費用。
その間に仕事を見つけるのだ。

ただ、学生ヴィザを貰うときにそんなことを1言もいってはいけない。
鶏の卵の仕組みを作ったほどだ。
「運がよければ働きたい」などと言えば、学生すらもらえない。
日本に強制送還の可能性もある。

あー私の番だ。窓ぐちのおばさんはこわそうだ。

と、今日はここまで。続きは頑張って明日書きます。
と言うことはタイトルを仕事用ヴィザから学生ヴィザに変えなくてはいけない?????
脱線だらけのわたしのブログはいつそこまで到着するかわかんないので
このまま許して!

 

 

つづく・・

 

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  • 2006.09.18 Monday
  • 12:34

netshopオープンへの道

netshop. オープンまでの道 VOL1ー自己紹介の編ー

はじめまして、平野恵美です。
(わあっ、ひさびさの漢字で見る自分の名前にちょっぴり驚いてます。)
そうです。1999年からパリで暮しています。
ローマ字で書かれる私の名前は(megumi hirano)丸みが
多くてやわらかい感じがするのに、、、、
漢字で書く私の名前はこんなに角ばっているんだ。
6年間、見慣れていなかった。。。。。


ざっと、今回、ネットショップをオープンすることに
なったいきさつを書きますね。
その前にパリに来てからのここまでのいきさつのほうが
みなさまには興味あるのかしら?
この間も、ギャラリーラファイエットで(パリのオペラにある百貨店)
たまたま、"MIU MIU"の同じ靴を試着していた日本人の女の子に話しかけたときも
彼女からスター扱いされてしまった。

「スゴーィ。スゴーィ。スゴーィ」

何がすごいのだろ?
”私はデザイナーでフリーランスで仕事していて、おまけに自分のブランドの会社を経営している”
とは1言も言ってない。

「学生?」と聞かれたから、「働いている」と答えただけだった。
彼女からしたら、憧れのパリで働く日本人なのだろう。
わたしには、自国で働いて日本の休日でないときに
パリに旅行で来れる彼女のほうがすごいと思った。

自国を離れると、日本のよさがすごくわかる。
あと、ツーカーでわかりあえるのも同じ日本人。
特別な目で見られないとか、当たり前だ。周りがみんな日本人なのだから(笑)
それでも、わたしはパリの生活が好きだ。
個人を尊重してくれるところ、無条件で助けてくれるところ、
今朝も4階の女の子が向かいにすむ1人暮らしのおばあさんに
「買い物行くけど、ついでに買ってきてほしいものある?」
と声をかけていた。

人間や、人生の豊かさを感じる。

わたしがフリーランスの仕事をしている会社の女の子も、
私が取りに行かなくていいようにいつも仕事を持ってきてくれる。
(彼女はわたしの近所にすんでいる。会社は郊外にあって遠い。)
わたしからすれば彼女はクライアントなのに。。。。。


私の感動話になってきてますね。今回はこの辺で
終わりにしたいと思います。
余談でかなりそれてしまいましたが、
今の私の現状は今回ざざーっと書いたとおりです。
要約すると、
1999年より、パリ在住 
1999年より、フリーランス デザイナー
2002年に、MEGULIMITED 設立
2002年 1月 初のMEGUの展示会をパリ、ポルート.デ.ヴェルサイユのプレタ.ポルテにて開催。
運良く、日本、ヨーロッパのセレクトショップからオーダーをもらう。
2006年 2月 オンラインショップを始める事を決意する。
2006年 9月 オープン(やったー) 

次回は、仕事用ビザ申請の奮闘気を書いてみたいと思います。
では、なかなか余談が多くて進まない私の”netshop. オープンまでの道”
楽しみにしてくれるファンができることを願ってます。

 

 

つづく・・

 

 

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  • 2006.09.13 Wednesday
  • 17:20